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うわあ。

日本の女子大生が書きたいことを書くブログ

初めてのこと


駅の北口から出ると、ほのかに獣の匂いがした。この地域は野良猫が多い。しずくをいくつもぶら下げたフェンスに、歩道にへばりついた落ち葉。雨が降れば、獣の匂いはより強く感じられる。この野生の香りは、この後に私という一人の女子大学生の身に起きることを暗示していたのであろうか、と今になって思う。
学生やサラリーマンたちが、一定の距離を保ったまま歩いてゆく。私も流れを止めぬよう、同じスピードで歩いてゆく。ぼんやりとあれやこれや考えながら、駐輪場に向かう。少しうろうろして、自分の自転車を見つけた。鍵をさしこんでガコンとタイヤ止めを蹴り自転車をバックさせ取り出す。その一連の流れは手慣れたものだ。
ふと、紙粘土のことが思い出された。私は幼少の頃より粘土遊びが好きで、よく粘土で遊んだものである。一度、粘土で「公園」をつくったことがある。ブランコにすべり台、そして水飲み場。その蛇口まで再現された、なかなか精巧な公園だったと思う。はて、なぜ急に紙粘土などが思い出されたのであろう。ああ、そうだ、足である。先ほど一歩踏み出した右足で、何か柔らかく形の変わるもの、紙粘土のような感触のものを踏みつけていた。

本日11月1日、生まれて初めてうんこを踏んだ。つら。足が速くなったりして。


(かかった時間:27分)


こんな女がいるせいだ。


こんにちは。うわあです。
今日は、「結局は人それぞれよね〜。」という話を書きます。女性の権利のことです。


私は現在、大学生である。日々漠然と自分の将来について考えることがある。私の所属する学部は教育系で、周りの友人たちは皆、教育系の職につくことを目指している。教授らもそれを前提とした講義をする。

しかし私は、なにか適当な仕事に就けたらそれでいいや〜、と思っている。なぜなら、私は人生において仕事に重きを置きたくないのである。仕事で人生が決まるわけではない。もっと自分の好きなことを楽しみたい。仕事はお金を稼ぐためのもので、そのお金で生活をし、好きなことをする。私のような凡人が、それでも彩りある人生にしたいなら、仕事なんてその程度の立ち位置で良いのだ。だから、就活生向けのコンテンツでよくみられる、「好きを仕事に!」「ワタシが輝くお仕事、見つけた!」などの言葉は、とても正気な人間の生み出したものではないとまで思ってしまう。
もちろん私生活と仕事は完全に切り離されていたい。だって考えてみてほしい。もし教職についたとして、プライベートなとき、例えばちょっと買い物に来たスーパーなんかで、自分の担当しているクラスの保護者に会う。おえ。すでに面倒くさい。保護者は、⚪︎⚪︎先生〜!と駆け寄ってくる。お買い物されてるんですか?カゴを覗いてくる。晩ごはんを予測してくる。どうでもいい子どもの話をしてくる。他の保護者の噂話をしてくる。勤務時間外だろう。勤務中でないのだから、私は教師ではないし、彼女も知らない人だ。
つまり適当な仕事とは、私が就きたい職とは、仕事と私生活がなるべく分けられて、他人の中に紛れ込めるような、例えば普通のOLのような職である。しかもOLの中でも、一番平凡で、誰にでもできる仕事を任されるOLがいい。
ここからやっと女性の権利問題がでてくる。

「女だからといって昇進できないのはおかしい!」「もっと重要なプロジェクトに参加させてほしい!」という意見をよく目にする。女性はすぐ感情的になるとか、チームを乱すとか、そんなイメージにいまだ捉われている人がいるから、女性は疎外される。その悔しさはわかる。でも実際そんな女性もいる。その面倒くささもわかる。

さらに一方で、私は、女性というアドバンテージを大いに活用し、安全で責任の少ない仕事でお金を稼ぎたい。バリバリの仕事チームからは疎外されていたい。女性に対する偏ったイメージに守られていたい。

結局人それぞれなのだ。どういう風に仕事したいかも、どんな能力があるのかも。それならば、「もっと女性にスポットライトを!」というのはおかしい。女性であろうが男性であろうが関係なく、一人一人で評価されるべきだ。性別による待遇の違いに憤る女性たちは、その勢いのあまり、平等以上のものを求めてはいないだろうか?働く女性みんなが、あなたたちのように優秀であると思ってはいないだろうか?これからは、「カテゴライズせず、もっと個々人で見てください!」にしていきませんか。まあ私は適当な仕事に就ければなんだっていいですけど。むしろカテゴライズしてくれていいですけど。お茶汲んできま〜す。

(かかった時間:3時間くらい)


先生に片思いしていた話


私が高校生の頃、数学の先生のことが好きだった。仮にS先生とする。S先生は落ち着いていて、優しくて、背が高くて、手が大きくて、話しかけるとにやにやしていて、でもだから好きになったわけじゃなくて、でもなんで好きになったのかわからないけれど、私はS先生のことが大好きだった。

S先生には高校3年生の夏期補習(夏休みに希望者が集まって授業を受ける、主に大学受験対策)で教えてもらった以外は、担任になったこともそれ以外の授業を受けたこともなく、接点なんてほぼなかった。
けれど高校生3年生の夏から私は、わからない問題をS先生のところに聞きにいくようになった。
放課後、部活や勉強以外の生徒が帰ったころ、数学準備室(数学の先生のみの職員室)のドアをノックし、顔をのぞかせて、「失礼します、Sせんせー、今いいですか」と言って、中に入る。先生が、先生の隣の椅子をすすめてくれる。「これなんですけど、、」と問題集を開くと、S先生はまず自分でそれを解いて、その後で私に教えてくれる。「ちょっと待ってよー、」と言いながらさらさら解いていき、「できた、答えは?」と言うので教えると、にやにやしながら「合ってたー」と言う。あー、いい時間だなあ、と思っていた。(この時点ではまだ何も勉強になっていない。)

何度もS先生のところに行くので、それからは準備室のドアを開けただけで、S先生が「きたー」と言ってくれるようになった。また、放課後空き教室で、私が一人勉強しているところに先生が通りかかると、ドアを開けて話しかけてくれるようになった。

夏、先生が問題を解くのを待っているとき、やたら暑がっていた私に「ん、」とうちわを渡してくれた。
秋、2年生の修学旅行の引率だった先生は、帰ってきてから私にお土産をくれた。放課後人の少ないときに、駐車場まで二人で歩き、先生が車からこまごまとした個包装のおかしをたくさん出してきてくれた。個人的に先生からお土産をもらったのは、しかもこんなにもらったのは、生徒の中で私一人だと思った。
冬、あめちゃんをくれた。センター試験の前日、はげましてくれた。

先生との一つ一つの出来事に、どきどきして、嬉しくなって、些細なことで落ち込んで、悲しくなって、それはまぎれもない片思いで、受験の天王山も横目に、片思いの天王山に足を踏み入れ、まだ齢17の生娘が、いっちょまえに34歳の男性に憧れていたのである。

私は文系だったが、先生のところに行きたくて、どの教科よりも数学の勉強をした。わからない問題、先生に聞きにいける問題に出会うため、そこそこ難しい問題集に手を出した。その結果、数IAの全国模試(記述式)で満点をとり、全国1位になったときもあった。S先生は半笑いだった。「こんなに数学伸ばして、どこを目指してるの(笑)」と言われた。

もうS先生には、私の気持ちはばれていたと思う。
体育祭の日、友だちにぐいぐい背中を押されながら「先生と写真撮りたい。」とやっと言った私は、
放課後、外に面した廊下で、手すりにもたれて夕日に染まった景色を見ながら、2人で他愛もない会話をした私は、
現像した体育祭の日のツーショットを、かわいい封筒に入れて渡してきた私は、
先生にはどんな風に見えていたのだろう。
あんな写真、捨てるわけにもいかないし、とっても困ったと思う。もう捨てられているのかもしれないけれど。

卒業式の日に、みんなが帰ってから先生のところに行って、「ちょっと来てほしいです」と言って誰もいないところまで歩いて、思いを告白、しようとさんざんシミュレーションして、勇気が出ずやめた。そのかわりに、思いを綴った手紙の最後に、もしよかったら連絡をください、とメールアドレスを書いて渡した、ということもしなかった。だから卒業後に高校を訪ねて、「先生、ずっと好きでした」と言いに行こうと思ったが、やはり勇気がなかった。そうだ、何もしなかった。そのまま大学生になって、2年目も過ぎようとしている。

今でもまだ、いつかどこかで先生に会えたら、という気持ちがある。けれど、自分から会いに行く勇気は出ずにいる。それに最低なことに、今お付き合いしている彼氏のことが、すごく大切で大好きだ。このまま一生、S先生と会うこともないまま、高校時代のたった半年の憧れを抱えて、過ごしていくのだと思う。あー、大好きなS先生、一生結婚しませんように。


(かかった時間:約50分)




パーマネントかけました


美容院に行くのがすごく億劫だ。人見知りだから美容院が辛い、という話をよく聞くが、そうではない。私もやはり人見知りではあるのだが、美容師さんはこちらがあまり会話を望んでないと思えばきちんとそのようにしてくれる。そこの心配はしていない。それにシャンプーはすごく気持ちがいいし、あの美容院のシャンプーの心地よさは、家のぽかぽかのお風呂場にはない涼しさ、洗った直後からスースーと涼しくて気持ちいい、身体はもちろん濡れていないから寒くはない、あの気持ちよさがあるのだが、ずいぶん長い一文になったが、はさみで髪の毛が切られる感触も気持ち良いし、美容院は好きだ。なにが億劫なのかわからない。

今回は8ヶ月ぶりの美容院である。
今までストレートパーマをかけていたので、ぴしんとした髪で2年ほど過ごしていた。ところが一週間ほど前、急にパーマをかけたくなったのだ。美容院も初めて行くところにしよう、と思った。

ところで今、ものすごい睡魔に襲われている。結果から言うと、パーマは成功した。お兄さんが上手だった。よかったなあ。




ハウスオブローゼのニキビケア始めます


9月分のバイト代が振り込まれたので、意気揚々とハウスオブローゼに向かい、ニキビケアシリーズのクレンジングと洗顔料を買った。エーシーコンフロント クレンジングジェルとエーシーコンフロント ウォッシングフォームだ。

初めてハウスオブローゼで買ったものは、OH!BABYというボディスムーザー(ボディスクラブ)である。体を洗ったあとスクラブで全身をマッサージしてシャワーで洗い流す。すると肌がつるっつるになっている。ザラザラのスクラブを塗っているときも楽しいが、この洗い流す瞬間がたまらない。毎日やっていて、毎日おおおおつるつる!と思う。右手のペンだこが一週間ほどで柔らかくなり、ひざの黒ずみも肌色に戻り、かかともやわやわである。
このスクラブを買ったときに、お姉さんが「何かお悩みはありますか?」とチェックシートを渡してくれたので、ニキビの項目にチェックを入れたところ、前述のクレンジングと洗顔料のサンプルをくれたのだ。

このクレンジング、とにかく流すときにヌルヌルしないのがすごい。今まで使ってきたオルビスのクレンジングやビオレのクレンジングは、ヌルヌルがとれるまで洗い流すのに少し時間がかかったが、このクレンジングはさっぱりと落ちる。すごく気持ちが良い。
そして洗顔料の方は、今までと同じ泡立て方でも全然泡が違う。やっぱり質の良いものは泡立ちが良いのだなあ、とよく知りもしないが思った。こちらも泡切れが良く、気持ちが良い。また、化粧水がよく入る。

ニキビはおでこやあごにちょこちょことあるくらいなので割と早く治るのではないかと楽観視している。むしろ夜更かしをやめることを最優先するべきなのだが、なかなか難しい。夜更かしする代償に高い化粧品を買っているような気分になる。

値段は、サイトを見てクレンジングと洗顔料で5000円くらいかな、と見積もっていたら、ボディスクラブを買ったときの300円OFF券もあり、税込みで3900円ほどだった。
ボトルに日付を書いたマステを貼って、どのくらいで使い切るのか検証しようと思う。

それから、ニキビケアのものというと、ニキビが治ったあとにも継続すべきなのか、それとも使わないほうが良いのか、またお姉さんに聞いてみようと思う(それは治ったあとで良いが)。
ハウスオブローゼのお姉さん、年の近い方から大人の女性の方まで、やはり手がすべすべのもちもちで、制服の袖からのぞく腕まで色白のすべすべで、とても素敵なのである。




街を走る電車について


私は大学へ行くため毎日電車に乗っている。そんなに田舎でもなければそんなに都会でもない駅から、そんなに田舎ではないがすごく都会というわけでもない駅まで、20分間、電車に乗っている。田舎でも都会でもない、街を走る電車、である。だいたい4両〜6両編成で、座席は2人掛けのシートが左右に2列あるタイプだ。窓から見える景色は、田んぼだらけであったり家だらけであったりである。

今回は、私が1年半の電車通学を通して得た、街を走る電車特有の傾向をまとめておきたいと思う。

街を走る電車あるある

  1. 2人掛けのシートに1人ずつ座るため、まあまあな人数の人が立っている
  2. ドア付近で立っている人たちがみんな内側を向いて立っている
  3. どんなに混んでも通路まで詰めない

以下、これらについて詳しく説明するとともに、思ったことを書いていきたい。

まず、「1.2人掛けのシートに1人ずつ座るため、まあまあな人数の人が立っている」ことだ。冒頭で、街を走る電車が、2席ずつ左右に2列の座席タイプであることを述べた(もちろん全てがそうではないが)。このような座席で、乗客はだいたい1人ずつ座っている。そして、後から入ってきた人たちの多くが、1人が座っているところには座れない、というように席を探していき、誰も座っていないシートがなければ、立っている。座っている人たちが2席を独占しているわけではない。そのほとんどの人がシートの奥側の席に座り、荷物を床に置くか膝に乗せるかして、通路側の席に誰かが座るスペースを残している。それなのに誰も座らない。みんな座りたい気持ちはあるだろうに、そのうえ座れる場所があるのに、立っているのだ。
これは、みんな他人との距離を保っておきたいから、起こることなのだと思う。誰か知らない人と隣同士で座っておくよりは、少し空間のあるところで立っておくほうが気持ちが楽でいられるのではないだろうか。
また、どこのシートも片側だけ空いているという状況では、一体どこに自分は座ろうか、自分が隣に座っても許してくれそう(?)な人が座っているのはどこか、という戸惑いに似た気持ちが生じる。これは少し共感されにくいかもしれないが、私はそんなことを考えてしまう。
結果、私含め、座席が空いているのに立っている人数が多いのである。


つぎに、「2.ドア付近で立っている人たちがみんな内側を向いて立っている」ことについてである。文章だけではわかりにくいので図を書いた。

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緑色の丸が乗客、赤色の矢印がその体の向きである。ホッチキスの針のようなものは座席だ。
このように、ドア付近の空いたスペースに立っている人全員が、中心に向かって立っているのだ。一体真ん中に何があるというのか。朝からみんなで輪になって、なんの集まりなんだ。
背中をどこかに預けられるから、立っているのが楽だ、という理由でこうなるのだろうな、とは思う。これに関連して、立っている人はいても吊り革を持って立っている人の数はとても少ない、という特徴もある。
私も背中を預ければ楽なのだが、やはり、この異様な円陣がどうにも居心地悪いので、いつも窓の方を向いている。


さいごに、「3.どんなに混んでも通路まで詰めない」ことについてだ。
これも図を書いてみた。

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灰色の丸が座っている人で、緑色の丸が立っている人だ。
街の電車は、電車の遅れがあってたくさんの人が待っていた時や、何かのイベントがあったときに、たまに人でいっぱいになる。これほど人が多いと、さすがに2人掛けには2人で掛けていることが多い。しかし、立っている人がおかしい。ドアとドアの間にみんな収まろうとするのだ。このとき、車内アナウンスでも「通路まで詰めてできるだけ多くのお客様が乗車できるようご協力お願いいたします」などのように呼びかけている。でもそこで動くのはほんの2〜3名で、あとは自分だけ突出するのを恐れるかのように、四角いスペースに収まろうとするのである。
上記の2つの特徴に比べ、この3つめの特徴は明らかに他人に迷惑をかけている。実際に、通路にまだ詰められるのに、ドアの前がいっぱいになり、乗りたい人が乗れずにその電車が出発してしまう、ということを今まで2回ほど見たことがある。困ったものである。

以上が、私の毎朝・毎夕の観察による、街を走る電車の特徴をまとめたものである。また何か発見したら書き残していきたい。



二度づけえびみりん焼きの旨さ


セブンのえびみりん焼きが好きだ。味が濃くて良い。二度づけのおかげだろうか、どのえびみりん焼きよりも味がしっかりしている。かといって塩辛いわけではなく、ただただ「美味しい味」が濃い。

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↑これがパッケージ。
クリップで留めて一日持ち歩いていたため、癖がついている。

私はこれを開封前にバキバキに割ってしまう。そして食べやすくなったかけらをおいしく食べる。
さくさく食べるのもいいし、せんべい表面の「美味しい味」を堪能して(舐めて)から食べるのもいいし、しばらく口に入れておきでんぷんせんべい特有のモチモチ感を味わうのもいい。そうしているとあっという間に一袋なくなっている。

また、でんぷんを主原料としたせんべいだからか、けっこう腹持ちが良い。これで6枚入り税込み108円、金欠の時にもありがたい。

明日のおやつもこれにしようと思う。